変革と挑戦5 中埜銀行の設立
大切な半田の地に恩返しの思いをこめて
経済発展とインフラ整備に尽力

又左衛門は代々、家業である酢づくりを大切にしつつ、常にその時代に必要とされているものは何かを考え、又左衛門家だけでなく半田という地域全体を発展させる道を模索していました。
その代表的なものが、五代又左衛門が明治34年(1901)に設立した「中埜銀行」です。当時にして20万円という大金を資本金としてスタートした中埜銀行は、又左衛門一族の安定した資金力をもとに、地元のさまざまな企業をサポートし、地域振興に大きな役割を果たします。一方で、名古屋電灯とも協力関係を結び、半田のインフラ整備に乗り出します。明治43年(1910)には「知多瓦斯(ちたがす)会社」の設立にも尽力。又左衛門たちの胸のうちには、家業の発展の礎となった半田という地に、恩返しをしたいという思いがあったのかもしれません。