変革と挑戦2
ブランド戦略の先駆け?
高級粕酢「山吹」の誕生
質の違いをイメージづけた江戸限定商品



二代又左衛門は「酢屋勘次郎」を名乗り商標はとしていました。弘化期(1844~)の頃になると、江戸で酢といえば“尾張の丸勘”と言われるほどポピュラーな存在となっていました。しかし、当時は商標登録制度などまったくない時代。中野以外の酢屋でも、丸勘という印を付けて酢を販売していました。
これでは中野の酢も他の店の酢も、同じものだと思われてしまう。そう危惧した二代又左衛門は、弘化2年(1845)頃、他の丸勘との差別化を図るため、商品にオリジナルのブランド名を付けることを考えつきます。そして誕生したのが、三年間酒粕を熟成した高級粕酢「山吹」です。
江戸向けの限定商品として堂々とデビューした「山吹」は、すぐさま大評判に。続いて発売となった「中野」「富貴」とともに、又左衛門の本格的なブランド戦略は、大成功を収めたのでした。
今もなお続く高級酢ブランド「山吹」。又左衛門はまさに、日本でのブランド戦略の先駆者だったというわけです。